青年海外協力隊に参加するまで③2回目の挑戦
こんにちは。 いよいよ緊急事態宣言の範囲が全国に広がりましたね。
こんな世の中の状況、先日JICAのホームページを見たら、2020年春募集(協力隊の選考)は中止になったと書いてありました。
自分も今後どうなるかわかりませんが、協力隊の試験を受けよう!と思っていた方々は何とも言えない気持ちだと思います。
さて、そんな世の中、そして我々の状況ではありますが、いつかまた目標にチャレンジできる日を願いましょう。
その時の一助になればと、今日は一度不合格となった協力隊の選考に再挑戦した時の話を書きたいと思います。
不合格の後に
前回、前々回の記事でも書いたとおり、私自身1回目の選考は2次試験の面接で不合格となりました。
青年海外協力隊に参加するまで① https://tnoma.hateblo.jp/entry/reasons
青年海外協力隊に参加するまで② https://tnoma.hateblo.jp/entry/entryfirst
正直その後は、いろんな選択肢を考えていました。
・スペイン語を学び、留学
・アジア圏で英語を生かして転職
・プログラミングを学ぶ
などなど、協力隊を受け、そして不合格となることで将来について色々考えていた時期でした。
ただ、そんな中でも、職場の上司がもう一度挑戦することを押してくれたのもあり、2度目の挑戦をすることになります。
準備、そして準備
当時、スペイン語を学びたい気持ちが強かったこと、大学卒業前にお会いした協力隊の方がニカラグア派遣であったことなどから中南米に行きたい気持ちが強くありました。
また、前回書いたように、最初の試験ではコミュニティ開発という職種を受け不合格でした。
全職種の中でも倍率が最も高く、海外の大学院を経てきた人や、国際機関を目指す人、バイリンガルなどが集まる職種。
どうしても受かりたいなら倍率の低い職種を目指すのもあり、なんていう記事も読んでいたので、出願時にはどうするか迷いました。
ただ、やはり自分が興味のある職種はコミュニティ開発だったので、自称「等身大のサラリーマン」がどこまでできるか挑むことに決めました。
ただ、前回同様に準備不足になることは避けたい。何よりいろんなキャリア、経験を持つ人と試験を受けるからには、さらに準備が必要だと考え動きました。
参考までに2回目の挑戦で気をつけたこと、1回目と比べて改善したことを記していきます。
1次試験(書類選考)
・要請内容から支援対象を第一に考え、自分の経験と合わせて何ができるかを書き出す(具体的に)
1次試験は元々前回も通過していましたが、より相手目線に立って文章を書きました。
ここは普通の就活、転職と変わらないと思うのであまり深掘りはしません。
1次試験通過後
1次試験を無事通過し、ここからが前回と準備の仕方の心構えを変えたところです。
まず、当時の自分の希望案件は、
・ボリビア
・フィリピン
の3カ国でした。
前述のように南米圏に行きたいという思いもあり、第1志望は南米ボリビアの観光振興案件。仕事内容も前職と通ずる部分があると考えていました。
東ティモールを第2志望に選んだ理由は、よく知られる国際機関への派遣という内容で、興味があったから。
フィリピンについては案件内容が自分のこれまでのバックグラウンドにリンクし、なおかつ英語圏であったことなどがあります。
案件の選び方は人それぞれですね。
そして、ここからがポイント。2つの行動を起こしました。
まず1つ目!
・インスタでボリビアの協力隊員と交流する
協力隊の人たちは、ブログやSNSで活動の様子を発信していることが多いです。
自分の場合は、Instagramでボリビア関連の写真にいいねを押していたら、その写真の投稿主がボリビアで教育隊員として派遣されている方で、なんと向こうからDMをいただきました。
というのも、私のプロフィール欄に、 「目標はボリビアで活動すること🇧🇴」という文言を入れていたことがきっかけで、 「ボリビアで働きたいんですか?!」というメッセージを送っていただけたのです。
こんなことあるんだぁ、と思いましたが、それをきっかけにボリビアの現状や活動の話など色々質問することができました。
さらには、自分が希望していた案件に前任として派遣されている隊員にも繋いでいただき、よりリアルな現場の話を伺うことができました。
これをもとに、自分が何ができるのか、より具体的なイメージを作ることができたと思います。
そして、2つ目!
協力隊OBに会いにいく!
前回、そして今回の記事でも書いたように、私は以前説明会で協力隊の方々にお会いしたことがありました。
そのうちの1人、ニカラグア派遣の野球隊員OBの方に会いに行きました。 もちろん突然の連絡を謝った上で、事情を説明した上で。
試験の時にどんなことに気をつけたか、 現地での活動はどうだったか、 困ったこと辛かったことは何か、 2年間で何が印象に残ったか、
いろんな話を聞かせていただきました。 やっぱり直接経験者の話を聞くのは大事で、自分のイメージとの違いなども知ることができました。
最後に3つ目!
日本の地方を見に行く
案件内容が観光振興に近いものだったので、個人的に調べた上でそのイメージに近い地元近くの中山間地域に足を運びました。
中山間地域でありながら、観光名所もたくさんあるこの地域。日本とボリビアという違いはあれど、何か生かせるもの、繋がる要素はないか?とひとりでフィールドワークをしていましたね。笑
2回目の挑戦
思ったより文章が多くなってきました、、笑
2回目の2次試験では、これらの準備を元により具体的なイメージをもって面接に挑むことができました。
具体的なイメージを持つことで、面接官からのあらゆる質問に根拠をもって答えられる。
この人がどれだけその国や案件について、対象者について調べてきたのか、その思いや本気度を見られるのが面接。
「1度落ちてから2回目の挑戦、あなたは今回何をしてきましたか?」
実際に聞かれた質問です。
その前の数ヶ月準備をしてきた自分。 具体的なイメージをつくり、より自分事として捉えるために取り組んできたことを話すことができました。
結果は合格、そして予想外!
こうした準備の甲斐もあってか、2回目の挑戦で合格することができました。
面接ではどんな国でも可能性があれば行きたい!と話したこともあってかなぁ、と思っています。
また、ボリビアの案件には自分より適性の高い人がいたのでしょう!結果的に自分はウガンダになりましたが、とにかく協力隊員として、コミュニティ開発という職種でチャレンジする機会を得られたこと。
これが大きかったです。なので、逆にそれからはアフリカやウガンダについて、たくさん調べました。
と言うことで、3回にわたって書いてきた協力隊になるまでの経緯。
合格の通知が来てからもう1年以上経ちました。
そして、今私はウガンダではなく、日本にいます。予想していなかった緊急退避。色々な思いもありますが、これが人生ですよね。
とにかく、いずれ協力隊の募集が再開された時に、それを志す方々に向けて少しでも役に立てればと思い書いてきました。
また皆さんがチャレンジできる日が来るように、それまで自分を磨きましょう!私も自己研鑽に励みます!
それではまた!