mpola×mpola

コトバツヅリ。

言葉綴。

自分軸を振り返る。

今日は自分の軸は何か、について問いかけをしました。理由は昨日の記事で書いた通り。サラリーマンにせよ、転職にせよ、起業にせよ、確固たる軸、信念が必要だと感じたからです。

転職の履歴書では、会社での経験からこれまでを振り返り、文章を書いてきましたが、今回は学生の頃から振り返ってみました。

バックグラウンドを書き出すと長くなるので、まとめます。

一つめ。地域づくり、まちづくりに携わること。

地域づくりという言葉は抽象的ですが、プレイヤーとして地域に入り込むということ。 以前、仕事の一環で地域で活躍する地域おこし協力隊を取材しました。地域づくりの一端に触れられるこの取材業務が結構好きだったのを覚えています。 一方で、実際に現場で活動している人たちの話を聞いているうちに、取材という形では、あくまで表層的にしか地域というものに関わることができない、と感じたことがありました。面倒なことも大変なことも含めてコミュニティに携わっていくこと、これがひとつの軸です。

二つ目め。人生の選択肢や可能性が広がる場、機会をつくること。

様々な年代、地域、国。多様な人との関わりから、こんな生き方があるんだ、こんな選択ができるんだ、ということを子どもたちや若い世代に知って欲しい。 子どもや若者に限った話ではなく、大人にも。

なぜこの二つが軸なのか。それは、これまで自分自身が上記のような人たちに支えられたり、多くの刺激と学びをいただいたからです。

自分軸というものはずっと変わらないものではないと思います。むしろ変わっていくべきものだと思う。物事に絶対はないし、時代も移り変わっていく。価値観も。

ただ、例え軸が変わっても、その時々で軸をぶらさないようにできれば良い。自分で明確に、自信を持って言語化できること、それが大切な気がする。

とりあえず、これらを軸にひとまずビジネスモデルを考えてみます!

あと360日。

信念、熱意、覚悟。

信念、熱意、覚悟。 これのために死ねない、これがあるから生きられる、これがあるから頑張れる。 そんなものは自分にあるのだろうか。

夢のため、故郷のため、家族のため。

今日は青年海外協力隊として共にウガンダへ派遣されていた先輩でもある友人とコーヒーを飲みに。年齢こそ自分の方が上だけれど、彼と話していると年齢は単なる数字上の基準でしかないことを感じさせられる。 それほどまでに頭の回転の速さや行動力、好奇心や学びの姿勢があって本当に尊敬している。

そんな彼と話していて出てきた話題の一つが冒頭の内容。ブレない軸や何のために生きるという信念のようなもの。今の自分にそれはあるのかと問われるとはっきりしていない、ということ。

以前から、「すごいなぁ」と思わされる先輩でも自分と同じように迷ったり、今後どのようにあるべきか考えていることを知りました。

自分も彼も20代後半。まだまだ色々なことにアンテナを張り、興味もある時期。一方でまだまだ自分の中に一本の揺るぎない軸を定められてはいない。

それは決して良くないことではなく、迷いもがいて、行動した先に自ずと自分の道、信念が築かれていくのだと思います。

現在、彼は県と企業が実施するビジネススクールのメンバーとして講義を受けながらビジネスプランや事業計画を練っているところとのこと。

そんな彼が、周りのメンバーは「これをやりきるんだ」「これによってこうしたいんだ」という熱意と本気度がすごいと教えてくれました。

何をするにしても、信念を持った人は強い。 自分は何をもって何をどのようにするのか。 単なる興味レベルではなく、心がブレることなく向き合えるものを考える必要がある、そう感じました。

人に会って話すのってとても大切。 とても大切な気づきをありがとう。

あと361日。

続・自分の棚卸しと探検家アムンセン

昨日は自分の棚卸しとして、これまでの仕事の中でどんなことをしてきたかまとめてみました。

例えば、私の主な仕事に広報業務があります。 そして、このワードをさらに具体的に分解してみました。

・プレスリリース作成などの文章力、構成力

・メディアとの関係づくり

・報道担当の目に留まるデザインやタイミング

・トップアプローチや営業部署から違うアプローチをかける ..etc

ざっくりとした棚卸しですが、履歴書やノートに記す際にはさらに具体的な状況や、実施した施策の背景などを書いていました。

棚卸しをすることで見えてくるのは、自分という店にどんな商品があり、どこから仕入れ、どのように販売してきたのか、その結果どうなったのかということです。

もし、目指すお店象があれば、そこにあって自分にないものを書き出していきます。 例えば起業というテーマで考えてみると、私の場合、

経理の知識

・税金や保険の知識

・営業の経験

・広告やマーケティングの経験

・交渉力

・アイデア出しの数

など不足しているものがたくさんあります。逆を言えば、棚卸しと目指すところを決めることで、足りないものを知ることができました。

ここで一つ、とある探検家のお話を。 ノルウェーの探検家アムンセンです。彼は子どもの頃から南極点到達を夢見ていました。 そんな彼は南極点に行くイメージを子どもの頃からずっと持ち続け、様々なことを実践していました。

・南極の寒さに備えて、窓を開けたまま薄着で寝る

・数々の失敗事例から学び、船長の資格を取る (船長と探検家の間でいざこざが起きると、旅が失敗に終わるため)

棚卸しと少し話がずれたかもしれませんが、自分ができること、自分が目標に対して足りていないことを明らかにした結果、アムンセンは万全の準備をして南極点に到達できたのではないかと。

もう一つ付け加えると、アムンセンの南極に対する思い、熱意、モチベーションがそれを可能にしたとも言えます。

当時、同じく南極点到達を目指していたイギリスのスコットは軍から命令を受けた軍人でした。これはあくまで命令であって子どもの頃から南極を目指していたアムンセンとはまったく異なります。 結果、スコットの率いた探検隊は全滅してしまったそうです。

棚卸しで現状把握と目標への逆算をすること。 そして、やらされるものではなく、自分のモチベーションを維持できるものであればアムンセンのように夢に近づく可能性が高くなるのかもしれませんね。 頑張ります!

あと363日。

自分の棚卸し。

自分の棚卸し。転職本でも時折出てくる言葉です。 自分で仕事を創り出す、つまりは事業を起こすにあたり、今日は自分の棚卸しをしました。

実は転職活動もしていたので、半年前にもこの作業はしていました。端的にいうと自分がこれまで何をしてきたのか。何ができるのか。何をもってそれをしてきたのか。それらを改めて知ること。

自分の持つ経験や知識、仕事やこれまでの人生の中でどのように課題を乗り越えてきたのか。 そんなことを文章でもスマホでも良いので、見える化することです。

「転職と副業のかけ算」という本があります。著者のmotoさんは、サラリーマンとして軸ずらし転職という考え方で活躍の場を広げていきました。この本は主に転職の時に必要とされる自己分析手法が載っていました。 それは、STARSと言います。

Situation(どんな状況で)

Task(どんな仕事を持ち)

Action(何を実行して)

Result(その結果どうだったのか)

Self Appraisal (振り返ってどう思うか)

この5つをもとに履歴書を書くと、内容がとてもわかりやすくなったのを覚えています。 転職の際の相手(採用担当)への伝え方としても有効かもしれませんが、この手法自体は自分の棚卸しにもなると思います。

棚卸しの内容はまた機会があったら記してみます。ノートが結構埋まったので、シンプル版で。

あと364日。

帰国から1年4ヶ月。再びもがき始める。

1年ぶりにブログを開き書いています。 ウガンダから帰国して1年4ヶ月経ちました。 この間の身の上話は一度置いておきまして、今回は端的に、今の目標やブログの位置付けを書き記します。

1つめ。自分で仕事を創り出すということ。 副業、複業、転職。色々ありますが、ここではあえて一歩引いてしまう「起業」という言葉にフォーカスしようと思います。 働き方や生き方など、今後を考える中で浮かび上がったワードが起業でした。手段であって目的にならないようにとは思っています。

2つめ。ブログの使い方について。 目標や夢を思い描くだけではなく、どうしたら良いのか、そのプロセスを考える。ここには、情報集めや思いついたものなどを備忘録として残していきます。

3つめ。備忘録だけでなく、アウトプットのツールとしてブログを書いていきます。情報を集めたり読んだ上で、要旨を書く。それに加えて自分なりの見解を書いてみる。そんな使い方です。

ここに書いたこと、実は起業本に書いてあった一つの手法です。まずは実践していきます。

さて!夢や思い描く生き方を「いつかしてみたいなぁ」で終わらせないために、明確な日にちを記します。 2022年7月7日、来年の七夕。 ここから逆算して行動に移します。何がどこまでできるのか、するのか。あるいはできないのか。

本当は文章にして人の目に触れることや、それによってどんな声があり、どう思われるか気になる。自分が途中で投げ出さないかって常々考える。もっと控えめな曖昧な文章を書いていたい。 文字を打っては消して、最初に書いたストレートな文章たちは段々と牙を折られ、顔を隠すようになる。

でも公にさらけ出して恥をかいても、失敗しても、それを知られたとしても、何もしないより良い。むしろ、頭の中で言葉を抑えず、他の人の目に触れることで誤認せずに済むこともあるはず。知識だけ入れても頭でっかちになってしまうから。

よし。再びもがき始める。

p.s.書いて満足しないように。

(ブログ名変えました。シンプルに言葉を綴っていく、ということでそのまま!コトバツヅリ。)

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任期短縮。再び日本で。

長いことこちらのブログを開いていなかったので、自分自身もその存在を忘れかけていました。

ご無沙汰しております。

前振りもなく書き出しますが、タイトルの通り青年海外協力隊としての任期を短縮することに決めました。

この1年間。 私は昨年7月末をもって前職を退職し、夏の補完研修、9月からの派遣前訓練を経て、12月にウガンダへと日本を経ちました。

しかし、今回のコロナにる世界情勢や安全を考慮する中で、3月半ばに緊急帰国する形となり、その後は地元でこの先について考える日々でした。

ただ、心身共にしんどい状態で帰ってきたこともあって、心の底からウガンダへすぐに戻りたい、とも思えていなかった部分もあります。

前なら、他の隊員は熱意を持って今すぐにでも戻りたい!と意気込んでいることに対し、負い目も感じていたかもしれませんが、今となっては自分のこの感情も受け入れることができています。

そして、この度元の会社で働くことを決めました。当初は登録制度という形も考えましたが、会社に戻るにあたって応援してくれた、機会を設けていただいた方々への恩返しとして、自分が今できることをここでやっていきたい、と思っています。

ウガンダでの3ヶ月間という期間は、協力隊としては短すぎたかな、と思っています。

しかし、それでもこの経験はとても価値のあるものだとも思っています。

自分にない考えや文化に触れ、自分の心身の弱いところを知り、今後日本で生活する上で、働く上での課題も見つかりました。

日本でそのまま働いていては、会えない人たちや、考え方を持つ人たちに出会うことができました。

だから、協力隊を目指してきた期間と、協力隊としてのこの数ヶ月間は自分にとって本当に濃く、意義のある期間でした。

これからは再び日本で頑張って、そしてウガンダの人たちがそうであったように、心広く、時には楽しむことも忘れず仕事に向き合っていきたいと思います。

このブログについては、一応残しておきたいと思います。月に少しのPV数ですが、読んでいただいている方もいるようです。

今後世界の状況が落ち着いたときに、このブログが、協力隊を目指す方、派遣前の候補生、派遣されて3ヶ月目ほどの隊員、様々な人の役に立てればと思っています。

ですので、しばらくは様子見で。 もしかしたら、削除することもあるかもしれません。

結びがイマイチではありますが、任期短縮、そして再び日本で頑張って行きます、という報告でした。

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帰国から1ヶ月半。ウガンダを振り返る。

早いもので帰国から1ヶ月半が経とうとしています。ウガンダにいたのは3ヶ月ちょっと。

その半分の時間があっという間に過ぎているこの現実に驚きます。

ウガンダでの2ヶ月目から帰国直前、赴任時期で言うと1ヶ月目終盤から2ヶ月目は、正直、心身共に参っていました。

度重なる尻切れ出血で通院。 ※過去記事をご覧ください。笑

原因不明の全身蕁麻疹で通院。

喘息の兆候。

前任との人間関係。

大人になれば誰しも、それなりにキツイ経験を乗り越えてきていると思います。

かく言う自分も、26年も生きていれば、それなりに苦しい、苦い経験もしてきているし、乗り越えてきました。

ただ、初めての途上国での生活は想像していた以上に効いてきました。強烈な一撃、というよりは、少しずつジャブが効いてくる感じ。

効いてきたときに、クリティカルヒットで他の事象が起こることで、さらに参っていましたね。

もちろん楽しい記憶や、やる気に満ち溢れていたあのモチベーション、いろんな、素敵な人たちとの出会いもありました。

ただ、帰国から1ヶ月半経ってみて振り返ってみても、「いや〜、しんどかったな〜」という気持ちが出てくるのが本音です。

社会人になってからも最初の3ヶ月から半年くらいは、新たな環境や関係に中々馴染めず、メンタル的にも感情の起伏がありました。 もちろん、それは時間と経験を追うごとに慣れて安定してくる。リズムも掴んでいきました。

このリズムを掴み切る前に帰ってきたのが今回で、心身共に絶不調のタイミングでもありました。

そして今思うこと。 自分がもし今後、国際協力に関わっていくなら、「現場」ではないのかもしれない、と思っています。

何なら、少し敷居を下げて「国際交流」や、あるいはカラーが変わるけど「ビジネス」での関わり方の方が、自分には合っているかもなぁ、なんて考えたり。

もし、緊急帰国せず、普通に活動していたら大スランプ期を乗り越えていたかもしれないし、その過程を経て出てくる結論は、また違ったものになったかもしれません。

ただ、少しではありますが、現地に行ったことで自分ができること、アプローチの仕方は別かもしれない、と今は思っています。

また、「国際協力」というワードにとらわれすぎていたようにも思いますし、結果的によくある経験をすることにもなりました。

帰国して、今。自分のSNSの文章やブログを見てくれていた友人たちからは、 「あのとき結構メンタルきてただろ、心配してたよ」 なんて声もかけられました。

自分は割と思いを文章に反映させたい、感情書き殴り型なので、余計にそう映ったのでしょう。自分でもあの頃の文章を読むと、結構ジャブが効いていたことが分かります。笑

なので。

なので、自分は自分ができる範囲で。関わり方は色々ある。

それが結論。 ん?これ任地でもおんなじことかも。

最近は、自分ができる範囲で将来こんなことができたら良いな、と考えていることもあります。

今はその準備期間で、このまま任期が終わろうとも、これからの1年半はウガンダにいるつもりで色々トライしようと思っています。

ポジティブな意味で、切り替わってきてるかな。もう少し書けることが出てきたときに、またこのブログに綴っていきますね。

というわけで。帰国から1ヶ月半の心境でした。

散歩中の写真です。